2022年12月20日 10時30分
大正ロマンを代表する詩人画家で、デザイナーとしても活躍した竹久夢二(1884~1934年)。来年1月2日から佐賀市の県立美術館で、初公開を含む代表作の数々とともに、その歩みを紹介する新春特別展(主催・佐賀新聞社)が開かれる。 夢二が活躍した大正から昭和初期は、モダンな都市文化が花開いた時代。夢二デザインの粋な服飾や生活雑貨は、若い女性をとりこにした。特別展では、美人画や晩年の珍しい絵画のほか、今でも「レトロかわいい」と愛され続けている夢二デザインのグッズも数多くそろえる。 岡山県生まれの夢二は、明治34(1901)年に上京し、早稲田実業学校に入学。本科を卒業し、専攻科に進んだが、同38(1905)年に中退。雑誌などのカットを担当するコマ絵画家として歩み始める。1907年には、“夢二式美人”のモデルとなった岸たまきと結婚した。伏し目がちな大きな瞳、憂いを帯びた表情、S字にくねる肢体-といった新たな美人画を生み出した。 美人画で知られる夢二だが、グラフィックデザイナーの草分けでもあった。1914年に夢二が開いた「港屋絵草紙店」(東京・日本橋)では、日傘や浴衣、千代紙などの日常品にデザインを施した。港屋は東京の名所の一つに数えられ、若い女性を中心に人気を集め、夢二グッズは売れに売れた。 富裕層向けの高級ファッション雑誌「婦人グラフ」でも、挿絵を長らく受け持った。夢二は流行の最先端を把握するために、海外雑誌を参考にした。叙情的な文章と絵を組み合わせたコーナーが読者の支持を集めた。 児童画も得意とし、季節感ある背景に子どもや家族の団らんの様子を描いた作品を雑誌に発表し続けた。 また、明治期に西洋から音楽が流入し、楽譜が普及すると、大正期には凝った装丁の楽譜が人気を集める。夢二はその中でも代表格の「セノオ楽譜」の表紙を270枚あまり手掛けた。 作詞家として「宵待草」「別れし宵」などの楽曲の作詞も20曲以上行うなど、多才ぶりを発揮した。 ファッション雑誌の表紙や本の装丁、百貨店の包装紙といった商業美術にも積極的で、ジャンルを問わず手掛けた夢二。大衆に美術の裾野を広げた第一人者でもあった。(福本真理)